Nさんに会ってきたよ、くたびれた

最近、Nさんに会うのが憂鬱だ。眉間にしわを寄せているか、下唇を突き出してふくれっ面をしているか。このわたしが、そのどちらかの表情しか見せなくなっている。一人で買い物に行ったりして、ふと自分がふくれた顔をしているのに気づいてびっくりしたりする。
書いてるのが、すごーーーーーーーくしんどい。しんどくて辛くてもう逃げたいのに、気づいたら必死にどこを直せば良いのかを考えている。ああ、逃亡したいなぁ、もう書くのいやだな。疲れるしー、面倒くさいしー、っていろいろ思いめぐらせていると、どこかでまた原稿の内容に結びついてしまって、何かおもいつくと無意識にパソコンに向かってる。病気だ。病だ。伝染病だ。隔離だ。隔離といえば・・・ って、もうエンドレス。射殺されても良いから脱走兵になりたい。
「もうね、すごいしんどいんですよ。書いてるの。疲れるし頭痛くなるし」
Nさんに、今日愚痴っていたら
「あっはっは。でも、やってまうんやろ? ええぞ、今日から三日、書くな。書いたらあかんねんぞ。やってみろ。三日続けられたら大したもんや」
ふーん、んじゃもう書かへんわ。とおもって帰って来て、ご飯を食べ、気づいたらパソコンの前に座って書き直ししてた。
今書いてるやつに出てくる「カブトムシの幼虫みたい」っていう表現が、Nさんのハートをがっちり掴んだみたいで。「どこらへんの表現が、おりえっぽい味なんですか?」そう聞いたわたしに、即答で「かぶとむし!」と返ってきた。
カブトムシ。ね、かずくん。人は原点に帰るのかもねぇ。と、誰にも分からないネタを、今ふとおもいだした。
「いいなぁ、このカブトムシ。うん。おれはすごい好きや。カブトムシの幼虫って、ほら、映像がぱーっと広がるやろ」
いや、あたしは書いてる本人なんで、よく分かりません。
書くのに、癖ってのがどうしても、ある。わたしの文章には、やたらと「〜なぁって思いながら」「一番」「すごい●●」というのが出てくる。この3つはもう本当に、10枚書いたら4個くらい見つかる。その被った表現を一個一個書き直ししてく。同じ言葉がたくさん出てくる文章って、すごいバカっぽい。あ、ほら、また「すごい」って使ってる。
Nさんに会うのが億劫なのは、きっと話のレベルが上がってきてるからだ。細かいことを指摘されるようになってる。そして、戦略的な話をするようになった。50〜60枚なら雑誌掲載レベル。100枚からだと新人賞狙い。300枚あれば本になる。おまえは今、これを書ききったら何枚になるとおもう?「書きたいことをちゃんと書ききったら、80枚前後ですね。60では収まらないし、100だと間延びします。これは80前後が一番きれいになるとおもうんですけど」。そやな。俺も、これは80枚くらいになると思てる。・・・ 云いたいことは分かる。「分かりました。今のわたしに主人公の過去とかを描き足して120枚にするだけの筆力はありません。50から60にして、濃いものを作る方が、価値のあるものが完成するとおもいます。最悪でも60におさめてきます。過去を書けって云われるなら、それは別の作品って形をとる方がキレイだとおもいます」。ん、そやな。そうしろ。
そうしろ ってテメー!!!なんて云ってはいけない。仮にも腐っても前科があっても師なのだから。難しいことを云われるのは、それだけわたしのレベルが上がってきたからだ。それは分かるんだけどさ。そんなにカシコイ子じゃないんだよなぁ。
登っても下っても、道は自分で作らないといけない。同じ道は通りたくないってのは、単なるわたしの我が儘なんだけど。わがままじゃなくなったら、おりえでいる意味がないもんな。
今日はもう不貞寝する。