向かい風

ここ数日、すごい風が立て続けに吹いていて、わたしは立っているだけでやっとの状態だ。いつも、ものすごいスピードの中で生きていたとおもってる。追い風は自分で起こすから、わたし以外のものは向かい風を起こしてほしい。そう望んでいて、やっと吹いてきた。極端な性格が災いしているのか、自分の起こす追い風が暴風であればあるほど、当然向かい風も暴風だ。ときどき、捨て看板とかも飛んでくる。
当たったら、死ぬな。 そんなことをふと考えるのが、またたのしい。生きてるってのは、何かに逆らい続けるってことなのかもしれない。
新人発掘の企画がある出版社で持ち上がった。Nさんが打ち合わせに呼ばれて、そこの編集者に耳打ちされた。
「これに、おりえをねじ込みましょう。彼女はそうでもしないと書き上げないでしょう。とにかくあの子の書いたものをどうにかして活字にしましょう」
Nさんは、いつおりえのことを切り出そうか迷っていたそうだ。それが、向こうから、願ってもない提案を持ってきてくれた。それを伝えるためだけに、田園調布の駅にわたしを呼び出すNさん。こんにちわと挨拶した15分後、んじゃ行ってくると次の打ち合わせに向かうため改札を抜ける後ろ姿を見ながらわたしが考えていたこと。
「ぁぁ、もう逃げられない」
Nさんはそんなわたしの性格をよく知ってる。「良かったな。これでおまえを追い詰めたぞ」と帰り際に笑って去って行った。
こんな願ってもない幸運なありがたいお話をもらったら、きっとふつうなら狂喜して舞い躍ったりするんだろうが。わたしの脳裏にはただ、「ぁぁ、もう逃げられない」これしかない。
そして、なぜかわたしは、この閉塞感が堪らなくすきだ。だだっぴろい草原で、どこにでも逃げられるのに、どこにも逃げない。逃げたいもういやだ、できないよう困ったなぁっておもいながら、何かがキラキラしてる所を目掛けて、障害物があろうが大きな滝があろうが、とにかく最短距離を突っ走る。回り道なんてぜったいにしない。ちょっと回れば楽なのにって誰かに教えられても、暴風の中では何も聞こえないのだ。最短距離の直線コースを、ただキラキラしてるものが見える方向に目星だけ付けてヘッドスライディング。それが理想だ。たのしそうだ。じっさい、とてもたのしい。
いつ死んでも良い。でも、死ねるなら、今が良い。
そんな瞬間が、ずっと続く。毎瞬、そう感じ続けるんだ。ほんの一瞬の感情が続くのではなく、もう、数えきれないくらいの刹那の一つ一つに、そんなぎりぎりの土壇場がある。それが、すごくすきだ。でも、やっぱり逃げたい。人間は矛盾する生き物なのだ。




彼氏がいないと女はすさむ。モテない女の気持は、わるいがわたしにはこれっぽっちも理解できない。おとこがいなくて寂しいってのが、そもそも理解できない。何度も云うが、わたしはモテる。結婚したいと思えば明日にでも結婚できるし、彼氏がほしいと思えば3人でも4人でも10人でも一気に作ってやる。わたしにできるんだ。誰にだってできるはずだ。
いま、わたしは人生で幾つ目かの試練を迎えている。書くってこととまったく関係のないところで、もっとも受けたくない嫉妬を向けられている。しんどい。んじゃ誰か紹介してやるよーって云っても、わたしの紹介じゃプライドが許さない。それなら僻むなよと怒鳴りたい気持を堪えて、わたしはニコニコ妬みを受け入れる。
モテる人間とモテない人間の差はどこにあるんだろうと、ここんとこずっと考えていたんだけれど。ちょっとわかったかもしれない。すっごいブサイクなのに、なぜか次々におとこができる女がいる。すっごいデブで禿げてるのに美人の彼女がいるうえに浮気までできちゃう男もいる。それは決してお金の力ではないところで動く人間の摩訶不思議な精神世界だ。
それが、ちょっとわかったかもしれない。いまおりえのCPUをフル稼働して統計を出しているところだ。結果が出るのはひらめいたとき。いつ閃くんだろう。ピカってこないかなぁ、早く。
どっちにしろ、妬まれるのはしんどい。妬み僻みが向けられているってのをダイレクトに感じるときほど疲労感が募るときってない。わたしを妬む人間をずっと排斥してきたんだが今回の相手はそうもいかない。これは、いつもの笑いながら云う困ったじゃなくて、けっこう真剣な困っただ。

正直、いま恐ろしく体力が落ちてる。体力があっても気持が沈んでる日・体力がないのに気持だけ元気な日。どっちも揃う日が祝日がやってくるくらいのペースでしか訪れてくれない。もっとこいよ。待ってるのに。

かずくん、笑の大学は、採点を放っておいてでも映画館で見るように。あれはビデオじゃだめだよ。絶対にあのスクリーンで観ないといけない。あれこそ、映画だよ。なんか久々に演技を観た気がしたよ。もちろん、見るべきなのはゴロウちゃんじゃなくってよ? コウジくんを食い入るように観察するべし。