狂気

http://d.hatena.ne.jp/libra55/20040910

あっちゃんの日記を読んで思ったこと。「あたしも殺すかもな」。
私は、すごい子供好きだ。どれくらい子供が好きかというと、こっそり2カ所の団体に毎月寄付金を送っていたり、姉の子のオムツの世話もゲップも寝かしつけるのも入浴も、私がやりたがって、やっていた。世間一般で云うところの、かなりの子供好きであると自他ともに認めるような人間だ。
でも、だ。
20代、30代の女の盛りに、育児に費やされて過ぎていく数年間があり、その間に旦那は少しずつ嫁を女ではなく母親として見始める。母親になると身体のあちこちが女のそれから母親に変化してゆき、生活が子供中心になってしまう。
わがまま放題、やりたいことしかしないってのを生きるテーマにしている私に、果たして子供を真っ当に育てることができるのだろうか、と考えたら、無理だと思う。夜泣き、食事、入浴、毎日の世話だけでも相当な労働になる。愛情があるなら苦にはならないかもしれない。けれど、それは子を持って初めて云えることだ。子のない私には、想像を絶する苦行にしか思えない。子育てってのは、本当に大変なのだ。
自分の子を殺すなんてことは、確かに許されて良いことではない。けれど、虐待をしていた形跡もなく、いきなり殺しているという点で、母親の中に何か狂気的なものが芽生えてその衝動を止められなかったのだろうと思う。何度も云うが、許されることではない。ただ、なんとなく分かるような気がするってだけだ。
私がなんだかんだ云いながら車の免許を取りにいかないのは、自分の中に刹那的にわき起こってくる狂気を知っているからだ。「あの婆ちゃん、轢いてみてー」。絶対に、思う。きっと毎回思うだろう。そしてその衝動を止められない日がいつか来るかもしれない。それが怖いのだ。日常でも、よくある。下りの階段で前を歩いている人を突き飛ばしたくなる。握っている包丁を自分の足に落としてみたくなる。耳掻きで耳を突いてみたい、他人の髪の毛を全部むしり取ってみたい、書き出したらきりがない。そんな好奇心にも似た衝動が、私には常にあるのだ。今のところ、必死にコントロールしているが、いつこのたがが外れてしまうか、自分でも分からない。
虐待は許せない。けれども、人を殺して良いのは、その人を産んだ人間だけだという持論も、私にはある。
刹那の狂気だったのか。とても悲しい話ではあるし、殺された子を思うと苦しいが、殺した親を思っても、苦しい。