三原順 & 萩尾望都

なんか、書きたくなかった。あたしの胸に大切にしまっておきたかった作品。高校のころに見つけたのが最初だろうか。お金がなくて、安い文庫本を必死に漁っていた頃に出会った漫画だ。こんなに深く、痛切な漫画があったのか、と初めて漫画の奥深さを私に教えてくれた作品だった。初めて読んだのは、ムーンライティングシリーズ。
漫画というメディアはとかく幼稚に見られがちだが、とんでもない。漫画に当てはまる言葉がないのが残念だが、これは立派な文学作品だ。そこらへんのくだらない文章を書き散らかしている小説に比べたら、遥かに味わいがあり、心に深く刻まれる作品だ。
今日、三原順の漫画をまた買ったのが届いた。少し読んで、うわああっ ってなった。心に響いてジワジワくるんじゃない。もう、肉体的に、もぞもぞ反応してしまう。毛穴がぼわっと開いたり、涙が込み上げてきたり、全身の力が抜けたかと思ったら強張ったり。なので、読んでいて、すごい疲れる。気疲れではない、肉体的な疲労。ただ寝ころがって漫画読んでるだけなのに、すっごいしんどい。
三原順と、もう一人好きな漫画家は、本当に、疲れる。好きすぎて、感情移入しすぎて、しんどい。誰かを好きになったときって、すごいパワーを消費する。好きで好きで一緒にいたくて、あれこれ考えて溜息ついて笑って。そんな一喜一憂がとても疲れる。そういう疲労に似ている。三原順、なんで死んじゃったのか。本当に、もっとたくさん描いてほしい作家さんだった。死後もいろんな作品が復刊されているのを見ると、私と同じように彼女の作品で疲労を味わっている人がたくさんいるのだなと、嬉しくなる。
本当に、ステキな作品ってのは、読んでて肉体的に疲れるものだと、私は思う。映画でも、絵画でも、何らかのエネルギーを消費してしまうのだ。
実は、ちょっと読むだけですごい精神的にヤラれてしまうので、手が付けられない漫画がある。萩尾望都の作品だ。この作家さんの作品はかなり読み漁ったんだけど、2巻まで頑張って読んだのだが、それより先に、どうしても進めない作品がある。「残酷な神が支配する」。2巻を途中まで読んで、本を閉じて、ひざ枕してくれていたキヨミに云った。「もう、今日は、なんもできひんわ」。ただ漫画を読んでいただけで何を云ってるんだとキヨミは笑ったが、私のその後の様子を見て、本気で心配し始めた。もう、何をしていても上の空。集中できないし、ちょっとしたことで涙が出てくる。なにも悲しくないのに。頭痛が始まって、鎮痛剤飲んで、おなかがいたくなったので、家に帰った。ときどき、すごい読みたい衝動に駆られる。でも、読んだ後にまた何もできなくなることを考えると、怖くて手が出せない。
2巻までで、あんなに悲惨なんだから、これから先はどこまでいっちゃうんだろうって想像しただけで、もうダメだ。また落ち込んできた。昼メロは、そろそろネタが尽きているのなら、これをドラマ化すれば良い。最後まで読んでいないから、昼メロに必要なハッピーエンドかどうかも分からないけれども。薔薇と牡丹 を全部通して見るくらいの破壞力が、2巻の途中くらいまでで完璧に備わっているので、ぜひ一年くらいかけて映像化してほしい。
三原順萩尾望都も、本当にすごい。文学であるけれども、これは漫画じゃないと表現できない世界だ。全部買い集めてやろうと思って検索したんだけど。

ちょっと働きます。そろそろ。今財布の中には「これで歯医者に行って来い!」と、寝ぼけたあたしにあっちゃんがバンっと叩きつけられた2万円の残額と、自分のお金の二千円しかありません。何もできないよ・・・