考え事 なんでこんなことするんだろうっていう切ない疑問符

ここんとこオカシクなっているのは「故意に人を傷つけて楽しむ人がいる」ってことを目の当たりにしたからだ。人に迷惑のかかることは無条件でダメって教育を受けてきて、26歳にもなって、身近にそういう人もいたことがなかった。何か攻撃されたときには、周囲にいた誰かが私よりも先に怒ってしまい、私はそれを鎮める役に徹していた。「そんなに怒らないで。あたし気にしてないから」そう云ってないと、なんだかもう、本当に大変なことになりそうなくらい、先に誰かが怒り始める。過激な人間が多いのが難点なのかもしれないが。
今まで周囲の人がフィルターになっていて私に直接どうこうってのはなかったんだけど。ついにダイレクトに私にもそういう人と直面する機会が訪れた。攻撃に関しては正直、まったくどうもない。でも、やられた。「こんな悲しいことをする人が現実に存在するのだ」ってことに。
「社会に出たら、そんなのいっぱいいるよ。そんな人の方がむしろ多いくらいだ」そう云われて、そうなのかぁ、と、ますます悲しくなった。あっちゃんは、すごいしんどい環境で生きてきたんだなぁ、と。確かに私は、社会的に、本当に世間知らずだ。それが露顕した出来事だった。今日、久々にワカと電話で話をしていて、ごく普通に「等々力渓谷に一緒に行こうねー」と云ったら「うわ。なんか今変な感じした。あんた、なんかあったんやろ。今日、すごいおかしいで。なんか、ずっと違和感がある」と。ううう。心配かけたくなかったんだけど。こいつには隠しきれないのか。あらましを話して「あほちゃうかって、今日は云わないのぉ?」と聞くと「いや、そんなことよう云わんわ。あんた、ほんまに今ヤバイことになってるの分かるもん。一人で泣きたくなったら電話しておいで。今回しんどいのはオリエだけやろ? ってことは相手を潰しに行くことはないやろ。そういうときは、ヤバイやろ」。そう、私が誰かを潰すぞって決めるときは、大切な人が被害にあってるときだけで。自分一人がどうこうってときには、黙視している。そして、私が人を潰しにかかったときのタチの悪さと徹底ぶりを、ワカは現実に目の当たりにしてきているので、すごく嫌がるのだ。容赦ないから。でも、今回はそんなことはしない。無駄な労力だ。
「一人で泣きたいときは一人で泣かせてよ。電話したくないわ」「あかん。電話しておいで」。ああ、おまえもフィルターの一人だったのかよ・・・ そうやって守りにかかるから、私は世間知らずのままなんだっ と云いたい気持よりも、ありがとうって気持の方がボコボコと湧いてきた。
意見をくれた人の言葉を並べてみよう。
1「社会に出たらそういう人間の方が多い。今まで出逢ってなかったことの方が不思議なくらいだし、そんなことでいちいち凹んでたら身体がもたない」・・・けだし、正論。その通りだと思い、返す言葉がないが、それでも気持が悲しいって云っててどうしようもないのだ。
2「ごくありきたりの出来事やけど、オリエには衝撃的やったやろな」 ああ、そうなんです。でも、これをちゃんと受け止めて学習しないと、私はこれからきっと生きていけない。
3「そういう人もいる。でも、関わらずに生きていくことは不可能じゃないと思うよ。今まで関わらずに生きてきたんだから、もうないんじゃない?」 ううーん。これが最初なだけで、これから私がやろうとしてることを実行すると、1の人が云ってくれたんだけどガンガン増えていくと思うんだ。だから慣れることはできないけど、ちゃんと知っておくべきだと思う。
4「可哀相に。その相手、潰したろか?」 いや、基本的に私の悩みを君は履き違えてる・・・ 参考にならず・・・
5「そういう人もいないと、社会ってバランスが取れないんだよ。あんたには味方がようさんいてるんやから、ええんちゃう。放っておいたら」 これも正論。バランスの話には、大いに頷く。
みんなそれぞれの個性があって面白かった。どう考えても、確かに意図的に人を傷つけたり、迷惑をかける人というのは存在している。これをしたら、他人が傷つくってことを分かっていてやってる人って、いっぱいいる。それでも、どうしても行動してしまう何かがあるんだ。それは他人の痛みが分からないってことであったり、自分の利益を最優先してしまったり、そういうことに精神的快楽を見いだしていたり。要因は様々だが。仕返しや嫉妬ってのも、ある。でも仕返しや嫉妬ってのは理解できる。知り合いに、嫉妬である掲示板にあることないこと書き込んで嫌がらせをしている人がいて。それを見ててもすごい悲しかった。
免疫を付けるべきか、慣れるべきか。まず、私の中で、そういう人種の存在を肯定することから始めなければならない。
2年くらい前から、ずっと騙されたりとかってのが立て続けにあって。今私はきっと何かに気付かないといけない時期にきているのだ。この年齢まで、そういうことに出逢ってなかったってのは、確かにある意味驚異的なことであるとは思う。何に気付くべきなのか。何を受け入れるべきなのか、何を肯定するべきなのか。それとも、打たれ強くなる必要があるのか。
傷ついた方より、傷つけていった方が傷ついてることばっかりじゃないんだってことが、やっと最近、ほんの少し分かった。あたしって、無知だな。