同情じゃないんだ

大学を出てすぐに自分で仕事を始めた。雇われるってことに抵抗があった訳ではない。なんとなく自分がどれくらい社会的に価値があるのかを知りたかった。仕事は怖くなるくらい順調だった。同年代の子に比べたらバカみたいにお金を持っていたけれども、続かなかった。疲れてしまったのだ。
甘えてると云われればそれまでだが、私は人に騙され続けた。それでも大した損はしなかったのだが。精神的に磨耗しきってしまったのだ。陰日向のない子。いつもそう云われていた。その通りだと思う。私はいつも誰に対しても言動を変えない。直球しか投げない私にニコニコして近寄ってきて、急に掌を返す人がたくさんいた。一般的にいう「裏切られた」状態なんだろうけれど。誰のことも憎くなかった。いつも、可哀相だった。そんな風にしなければ仕事が取れない人なんだなって思うと、相手が可哀相で損害はどうでもよくなる。お金はまた働いて稼げば良い。けれども相手に対して失ってしまった信用は戻っては来ない。大切な信用をなくしてまで小銭を取りにくる人たちがいた。私は耐えられなくなった。
いつも、結局、相手は私を信用していなかったということなのだけど。そこまで人を信用できないその人の、それまでの人生を考えると居たたまれなかった。そんな人はどこででも同じことをしていた。みんなが悪く云うのを聞くのも辛かった。人を信用できないって、そんな悲しいことがあるものなのか。
この人はたくさん嘘をつかれて生きてきたんだな。そう思うと悲しくて憐れで、どうしようもなくなる。誰にも認められず、人を騙すことでしか自分を評価してもらうことができない。偽りだらけの生き方が、可哀相で仕方なかった。そう考えると憎むこともできず、仕返ししたげるよなんて友達が云うのも止めてくれと懇願するしかなかった。
いつも騙されてきた。騙されて、相手のことが可哀相で、自分の世間知らずさを、相手に詫びた。私がもっとしっかりしていたら、この人は私を騙さずに済んだのに。相手はあざ笑っているかもしれない。でも、その嘲笑さえが、私には泣いている声に聞こえる。そんな人たちのことを可哀相に感じて疲れ果てた。頭が悪いとしか云いようがないけれども、私はそんな風にしか生きられない。