幼少期

なんでこんな過去の話をほじくり返しているかというと、今いろいろ記憶の整理をしているからだ。
一番古い記憶は、おそらく2歳くらいの頃。保育園のジャングルジムに登っていて、下から登ってきた子の手を、踏みつけた。体重をかけ、踏んだ。わざと、狙った。そういう衝動があったのをおぼえている。周囲はみんな白い帽子をかぶっていた。白い帽子は2歳児のクラス。なので恐らく2歳の記憶。
ハサミで紙を切ると、切った部分をいつも探した。私はなぜか質量保存の法則(違うのは分かってるので安心してください)を知っていたのではないか、と思うような行動を取っていた。紙を半分に切る。すると紙は半分の大きさで2枚できる。でも、その2枚になった紙がくっついていた部分があるはずだ。その細い細い紙の部分はどこへ行ったんだろう、と思っていたのだ。最初の頃は、穴を開けるパンチみたいにハサミの刃の中に収容されていくんだと思って、ハサミを分解しようとした。手を切っても、懲りなかった。何度も切った部分のつなぎ目の紙を探した。ひょっとしたら絨毯の目の中に落ちたのかもしれないと、手でそっと撫でて探しもした。姉に「どこに行ったんかなぁ」と聞くと、ちゃんと教えてくれたのだが、「つなぎ目の紙がどこかに存在していなかったら、紙が切れて2枚に分かれる訳がない!」と思っていたので、納得できなかった。今でも、密かに、どこかにあるんじゃないか、と探してしまう。
1時間は60分だと教えてもらい、デジタル時計で「60」の数字を見ようと、時計の前に数時間座り込んだのも保育園のときだ。5歳くらいだったように思う。「59」が出てきて、もうすぐだとドキドキしていると、パッと「00」になってしまう。なんで? だなんて思わない。「ああああっ、瞬きしてしまった!」と、それから「59」という数字のたびに瞬きしたんだと思い込み数時間が経った。姉が帰って来て座り込んでる事情を説明。そのときに時間のことを教えてもらい納得したのだが、未だにデジタル時計を見ると、ひょっとしてこの時計には60があるかも、と思って気になる。
保育園ではおとなしい子だった。明るいが泣き虫で、聞き分けが良く、利発な子だと思われていた。毎日男の子に泣かされていたがイヤではなかった。それを辛いと思ったこともなかった。なぜなら、すぐに忘れるからだ。イヤなことはすぐに忘れる。そういう機能が付いていたらしい。未だに泣いてたことはおぼえているが、なんで泣いてたかはおぼえていない。でも、怪我では泣かない子だった。カナヅチで指を打ちつけ血まみれになったときも、「先生、血が出た」と歩いて云いに行って驚かれた。あの先生の騒ぎようが半端じゃなくて忘れられない。爪が半分に割れていたのだから痛かったはずなんだが。
キミちゃんと云う子がいて、私といつも一緒にいるリエちゃんと私を毎日交互に連れ歩く。今日はリエちゃんの日って決めたらその日は一日オリエのことは無視。オリエの日だと一日リエちゃんのことを無視する。さっぱり訳が分からなかったが、何とも思わなかった。キミちゃんはそういう子だって認識していたのを覚えている。「変わったことするなぁ」って新聞屋さんの前で考えていたのを覚えている。