卒業文集と私の軌跡

幼少期、私はとても子どもらしい子どもだった。保育園では自分より小さい子をあれこれ世話するのが好きで、トイレに連れてったり食事を食べさせたりしていたらしい。そんな小さい頃から私はお節介な人間だったのか・・・ と悲しくなったが、その保育園の卒園アルバムには、将来の夢が書いてある。
「ほぼさんになりたい」
ああ、なんて可愛いんだ、私。今は保母さんなんて絶対にいやだ。子どもをいじめてしまう自分の姿が目に浮かぶ。子どもだということを武器にして、うまく生きようとする子どもを私は許せない。大人げないと云われてもどうしようもない。そんな甘い考えじゃ世の中渡っていけねーんだぞー ってことを教えてしまう。気に入った子はどこまでも贔屓するだろうし。確実に、顔の可愛い不細工でも差別してしまう。

小学校の卒業文集には、こう書いてある。「この頃に戻りたいと思わないように生きていきたいです」。おまえほんまに小学生か? こんなことを書いたってのをすっかり忘れていたんだけど。先日友達に云われて思い出した。ああ、そんな恥ずかしいこと書いた書いた。いつの時代にでも戻りたいなんて思ったことは今まで一度もないので、公言通りに生きてるみたいだ。しかし12歳の小娘のセリフじゃねぇだろ。友達に聞いてびっくりした。「あんたの文集の内容だけ、浮いてるで」と。確かに浮いてる。他の子のは全部「楽しかった修学旅行」とかなのに・・・ 「入学式の日、母を見失いどうして良いか分からなくてうろうろしていると、トイレに行きたくなり、悲惨でした」というようなことが書いてある。
何が書きたかったんだ、オリエ。この頃からすでに人生をわずかに踏み外していたみたいだ。
中学校のときの文集はどこにあるか分からないけれども、書かなかったように思う。そう、私はグレていた。
高校はそんなものはなかったけれども、卒論を書かされた。みんなが「自分史」なんて小学校の社会科の授業みたいなことをしている中、私はなぜか「進化論」について書いていて、しかも自分で考えていた進化の説を書いている。コピーが実家に残っていて、大学時代に読み返して驚いた。学習が進んでいて、また違った見解をその頃は持っていたのだが、こんな卒論をあのレベルの高校で、しかも全部ワープロ打ちして提出してたらしい。あほちゃうか、あたし。しかも妙に力が入っていて、かなり説得力があった。一瞬「ああなるほどー」と自分の書いたものに洗脳されそうになったほどだ。本当に恥ずかしい。
恥の多い人生だねぇ とワカちゃんといつも云ってるけれども。この話を今度してみようと思う。つまりこれは覚書。