SLY よしもとばなな著

きっと去年の私だったらよしもとばななは感じない作家だったろうな、と思う。極一部の人は知っているが、私はここ数年精神的に病んでいる人ばかり相手にしていた。すぐに人に共感してしまうので、気を抜くとヤラれてしまう。うっかり共感しようものなら、1ヶ月は軽く引きこもり生活をするようになってしまうのだ。別に恋愛感情があるわけでもない、生涯でもう2度と会わないかもしれないような人に共感して可哀相でやりきれなくなる。悲しくて可哀相で生きているのが辛くなるのだ。そこで、私は感情のあらゆるスイッチをオフにして生きることを選んだ。ずっとそれで平穏に生きてたのに、正月に師匠がいい加減にしろ!とすごい剣幕で怒り、一晩中泣かされ、無理やりそのスイッチをオンに切り換えられて、私はもう病んだ人たちと関われなくなってしまった。今の感覚の私があんな生活送ってたら、まともな判断能力なんて壊れてしまっているだろう。
スイッチが切り替わったことで、不可能になったことが多々あるけれども、可能になったこともたくさんある。その可能になった部分で、よしもとばななを読めるようになった。彼女の感性は、汚れがないな、と思う。そして、すごい観察眼で大袈裟に思えるような情景描写。とても満たされた人格から産まれた作品だなと思うのだ。
景色を見れる心の余裕ってのが、ある。精神的に余裕がないと、全てが許されるような晴れた日でも、ただ眩しい陽の光りが煩わしく感じられる一日でしかなくなる。先日友人の仕事場にお邪魔したときに、桜が一枝飾ってあった。その枝を見て「本物?」と聞いた私に「キレイやろ。庭に咲いてたから折ってきてん」と。仕事に追われている毎日の中で、この桜を美しいと感じられる心のゆとりが彼にあったことが、たまらなく嬉しかった。よしもとばななの作品は、そういうゆとりの部分が大きいな、と思う。大袈裟に思える情景描写も、過敏な感性によるものなのかな。少し羨ましくもあり、少し冷めた目で見る部分もある。
ちなみに、スイッチを切ったことでできなくなったのは過剰な情報を一気に処理すること。なので、今流行っている「24」ってドラマが、しんどくて見れない。