脳内整理3 利己的な遺伝子について

種の存続、種の保存、種の繁栄のために、生物は生きていると生物学では長く考えられていた。すごいおおまかな見解になるけれども。けれども、それは、違うよ、と。もしも種の存続繁栄保存が大切なのなら、なんで子殺しが行われるのだ。なんで共食いが起こるんだ、という疑問が解決しなかった。種の存続繁栄保存が大切なのなら、自分と同種である仲間を食べたら、それだけ減るし、子を殺してもダメじゃないか。でも、それは実際に起こっているし・・・ そこで、ダーウィンが目をつけたのが、「種」ではなく「個」だってことだった。「個」の存続が重要なんだよ、と。でも、ダーウィンの説を読んでいるとなんか「あれれ」と思うことが出てくる。それは、私が「遺伝子」ってのを知ってるからだ。ダーウィンっておっちゃんは、本当にすごいと思う。目で見たことしか信じない私には、おっちゃんの研究ってのは、とても素晴らしい。ダーウィンは、遺伝を知らなかった。私たちが中学校で習ったメンデルの法則が脚光を浴びたのは、ダーウィンが死んでから10年以上経ってからだ。
なので、ダーウィンの説にはなんとも云えないもどかしさがある。それは強引すぎるだろ、おっちゃん。云いたいことは分かるけれども、それじゃ単なる言い逃れじゃねーか。とか。そんなことを思いながら、なんかこう、ビビッとくる進化論ってのはないのか! とあれこれ探していたときに、セルフィッシュジーンに出会った。ダーウィンは、きっと、遺伝にさえ気づいていたら「種の保存」なんていわずに「遺伝子の保存」って言い切っていたんじゃないかと思う。そうに決まってる。そうであってほしい。
個人的な感情が先走ってしまったが。要するに「種」という単位での「保存」「繁栄」とかってのが説明できないことが自然界ではたくさん起こっていた。そこで、ああ、それなら「種」ではなくて「個」なんだね! ってとこまでダーウィンは追いついたのだけれども、それでも説明できないことが自然界には、あった。それが、ありや蜂の生態だった。
アリや蜂は、女王蜂のために働いて自らは繁殖はしない。それはめちゃくちゃ有名な話で、今どき保育園児だって知ってる。もしもダーウィンの云う通り「個」の存続繁栄保存を願うのなら、働きアリのやってることは、気が狂ってるとしか思えない。個体の一個二個が気狂いになることはあっても、あんなすごい数の個体が一度に、しかも代々気が狂っていては、種は繁栄できない。どういうことやねん、と。そこで、現れたのが、なんとかハミルトンだった。彼は、種でも個でもなく「遺伝子(DNA)」の単位で進化を捉えた。ミル、ここまで、ついてこれてるか?