強い人弱い人

映画「汚れた血」を観て、すごくイロんなことを考えた。どうして人にはあんなに多様な感性が存在するのだろう。私はアレックスが、やっぱりどうしても気持ち悪い。嫌いじゃない。可哀相だと思うし、知り合いにいたら、きっと構ってしまうタイプの人間だ。独りよがりで、なんて云うんだろう。こう、稚拙な人間。
アレックスのことを嫌いじゃないのは、彼は口だけじゃないからだ。できる。実際にイロんなことができる。私は、女性を口説くのがへたくそな男性が、好きだ。自分の気持をうまく伝えようとすればするほど、人は言葉がうまく出なくなる。動揺して、可愛らしくなる。口説くのがへたくそなのは、パターンにもよるけれども、私の好きなへたくそは、感情が先走ってしまってるパターンだ。
外見だけで寄ってくる男の人は、すぐに諦めてどっかに行っちゃう。興味を持って近付いてきても、たいがい皆、途中で挫折する。「オリエちゃん、今日も可愛いね。俺は君が大好きだ。大好きだけど、俺の手には負えない」そう云っていつも抱き締めてくれる酔っぱらいのデザイナーがいる。「俺の手には負えない」これは、よく云われる。負えないと思う。だって、絶対に受け入れられないもん、私のことなんて。私が相手だったら、絶対にこんな人間と付き合いたくないし、友達にもなりたくない。なので、そう云ってくる人たちの言葉に、私はいつも大きく頷く。軽く見られるが、いざと云うときは一点の隙もない。「よく観てるね、オリエのこと」そう云って、笑う。けれども、そんな中で、私のぶっ飛んだ行動を目の当たりにしても、一緒にいたいという奇特な人が、男女問わず存在する。私は、バイセクシュアルだ。みんな知り合った頃は、流暢に口説いてくれる。けれども、遠回しに告白されても、まったく気づかない鈍い私にだんだんイライラし始める。そしてそれでもどんどん好きになって、行動がオカシクなってくる。オカシクなり始めたら、鈍い私も、あれれ、と気づく。でも、気づかないふりをする。気づいてしまうと面倒くさいからだ。恋愛は面倒くさい。ステキだけど、煩わしい。なので、気づかないふりを続ける。できればこのまま相手の気持が消え失せてしまったら良いのに、とも思う。そうすれば、傷つけなくても良いのに。決定打が出るまでは、放置してできるだけ決定打を出せない環境を作り続ける。でも、出てしまう。相手はそんなに我慢できない。そこまで残ったら大したもんだとも、思う。我慢できなくなって、泣くか叫ぶか、怒鳴るか怒るか呆れるか。「好きだ、付き合ってくれ」というようなことを短絡的に言葉にする。そこまではっきり云われたら、もうこっちも逃げられない。いやだ、って逃げるか良いよって笑うか。ここまできたら、もうテクニックもムードも、ない。押さえ込んでいた感情が噴出して、それにまみれるのが好きな私には堪らない瞬間だ。この瞬間を味わうために、気づかないふりをしてるだけやん、とワカは云う。その通りかもしれない。イヤな女だ最低の女だと云われても、どうしようもない。
アレックスは、口説く。流暢に詩的な言葉を並べ立てて、けれども、その意図する意味は、恐ろしく短絡的だ。彼の口から吐き出される言葉は、悲しいくらいいつも独りよがりだ。けれども、本当に自分の気持を伝えようと思ったら、言葉は、どうしてもこうなる。独りよがりなのを皆隠して、最初は雰囲気作ったり小技を並べ立てる。私はそういう空気があまり好きじゃない。肌に届かないんだ。びりびりしない。でも、そういう意味ではアレックスは不器用で、身体中に突き刺さって、肌から侵入してきて、赤い傷跡を残す。そんな口説き方。アレックスみたいなルックスでなければ、私はこんなこと云われたら、放っておけなくなるだろうなぁと思ってしまう。ルックスは重要だ。生物学的にも、とても重要だ。けれどもこの映画は、このレベルの醜男でないと成立しない。それも、分かる。何が云いたいのか分からなくなってきたけれども。
口説かれるときってのは、相手の感情がダイレクトに入ってくる方が心地良いってことだ。あっちゃんが、そうだったな、と思う。自分ではどうにもできないくらい、感情が先走った人間ってのが、私は好きだ。素直な、自分自身に対して正直な人間が、好きだ。
アレックスは、痛い人だ。刺し傷とか、切り傷じゃない。何度も叩かれて、真っ赤に腫れ上がった皮膚に触れたときみたいなヒリヒリした痛み。こんな人、実際にいるけれども。やっぱり、放っておけなくなるから。あんまし出会いたくない。