「地獄変」 芥川龍之介

何度読んでも良いものは良い。
私は芥川龍之介が嫌いじゃない。芥川龍之介坂本龍一が、私の中で「嫌いじゃない人」ベスト2だ。

大好きってわけでもお気に入りってわけでもないけれども、圧倒される。そんな存在だ。

夏目漱石の本が、今の値段に換算したらだいたい2万円くらいで売られていたという話を聞いて私は「えらい高い娯楽だったんですね」と云い垂れた。師匠はそれを聞いて呆れた顔でこう云った。
「あほか。教養やったんや。娯楽やない」

その時は正直云って分からなかった。けど、今は分かる。文学は教養だ。いや、教養になりうるのだ。

繊細さと現実と愛情と苦しみと、そして残酷な人間の本質が、描かれている。そんな作品がこの頃の文豪と呼ばれる人たちの作品には多い。いや、それが描けているからこそ文豪なのだろうけれども。

文章がまず「美しい」のだ。
ここには本当に人間の作り出せる「美」の限界があると思う。私はリバーダンスってやつがすごく好きで、テレビなんかでかかっていると身じろぎもせずにじっと見ている。
指の先や髪の一本一本、睫毛のわずかな動きにさえ、美しさを感じる。そんなダンスだ。毎日の鍛練、自己に対する厳しさ、そういうものがないと、あんな美しさは絶対に作り出せない。
どんなに顔の美しい人でも、あのダンスを踊れるブスには敵わないのだ。
美しいものが好きだ。
ただキレイなだけでは「美しさ」は出せない。

美しいものは、汚いものを積み重ねないと描き出せないんじゃないかと思う。

汗は汚いよ。だってベタベタするもん。涙も練習も、人に見せるもんじゃない。でも、そんなドロドロの積み重ねがあって初めて美しいものは形になるんだ。

芥川龍之介は、そういう作家の一人だと思う。