思い患い

私はいつの頃からか、女の子に「オリエといると殺意が湧く」と云われることが多くなった。
だからと云って嫌われているのか、と云えば決してそうでもなく、頻繁に一緒にいるし困ったら飛んできてくれるし、どちらかというと、大切にされていたと思う。では、なぜそんな状態なのに殺意が湧くのか。これがどうしても分からない。

肺炎になってお粥を作ってくれたのに「お粥食べれないからいらない」と云って食べなかったからか?
高熱があるのに飲みに出かけたからか?
一緒にいても知らん顔して仕事してたからか?
どれも違う気がする。

殺意って、すごい言葉だと思う。日常的に出てくる言葉では決してないし、彼女たちがそれを適当に用いているとも思えない。私はよく「あんなこ死ねば良いのに」とは云うが、自分が殺したいと思う人は、極希だ。勝手に死んでくれる分には良い。わざわざ死んでくれなくても良い。どっちでも良い。つまり、どうでも良いのだ。ただ、環境のこととか面倒くさいってことを考えて、死んだら良いのにね、って思う程度。「視界から消えてくれ」って意味合いで用いる。それにしても乱暴な言葉ではあるが。
でも殺意が湧く相手ってどういうのだろう、とふと考える。

私が自分の手にかけて殺したいと思う人間は、とてもとても大切な人だ。今なら、キヨミ。私が死ぬときは、絶対に殺してやろうと思ってる。あんな情の深い檄情型の女を、私の死後に野放しにはできないなぁ、と思うのだ。しっかりしてるし頭もいいので、私なんかいなくてもちゃんと生きていける人なのだが、きっと、私の死後に彼女が生きてるのがイヤなんだ。私の死を看取り、それはキヨミにとってとても悲しくて辛いことなのは間違いなくて、そんな思いをさせるくらいなら私が殺してやりたい、と切に願う。それはとても不遜な考え方で、なんとも身勝手だなとは思うのだが、私は元来身勝手な女で、こう思ってしまうのだから、もうどうしようもない。

他に殺したい人間は? と聞かれても、思いつかない。ワカなんて絶対に私よりも長生きするだろうけれども、楽しくやっていくだろうし、私が死んでもどうってことないのは明らかだ。
キヨミは、やたらと口にする「オリエが死んだら・・・」。それは私の不在への恐怖であり、不安なのだろう。生きてる限り、私が彼女から離れることはない。彼女が望む限り、私は手の届くところにい続ける。それはもう、彼女が一度だけ泣いたあの日から、決まっていたことのように思う。

嫌いな人間はいっぱいいて、でもどの人も勝手に生きててくれれば良い。私が「あんな子死ねば良い」とうっかり口にするから、ときどき自分のことを云われているのだと勘違いする子がいるんだけれども、違うんだ。君たちに対して私が殺意を抱くほどの感情の起伏はないんだ。どうでも良い。「オリエに死ねば良いって云われた」とあちこちで吹聴されたこともある。云ってないし思ってない。云ったとしても、意味が違う。言葉が乱暴な私のせいなのだけれども。でも、ちゃんと意味を理解できる人間ってあまりいないんだなって思った。
10年くらい前に、私は「どうでも良い」が口癖だったころがあって。本当にいろんなことがどうでも良かった。遠慮してるのではなく、譲り合いの精神なんて親から授けてもらっていないので、本当に、どうでも良かっただけなのだけれども、それでいろんな人を傷つけた。「●●のことはどうでも良い」そこに、人名が入ったとき、名指しされた人は傷つくのだということを、時間をかけて知った。

その相手の子は、私に文句云いながら泣いた。
ああ、悪いことしたなーと思って反省した。けど、彼女は決して殺意なんて言葉を用いなかったし、そんな感情も持っていなかった。

殺意が湧くって、どんな状態なのだろう。私の持つ気持は殺意というのとは、少し違う。メッタ刺しにしたい、なんてことを云われると、もうどうして良いか分からない。んじゃしてみる? って一言云うと、確実に頷かれそうなのだ。冗談では済まない空気が周囲に澱む。どんな気分なんだろう。殺したい。殺したいほど憎い。憎いのなら、一緒に遊ばなかったら良いのに。私はいつでも消えるのに。

困ったな。