おりえを取り巻く環境
ケチったら、良いものって手に入らない。
安物を買うと、結局損をしたりする。
愛情って、それと同じだとおもうんだ。
みんな、愛されたいって云うでしょう。
自分が投資をケチってるのに、何をたいそうなものを望んでるんだ。
どあつかましい。
友達のいない人が、とても多いのだってことに、最近気付いた。
不思議だ。なぜいないのだ。
おりえが病気になったとき。電話して「水かってきて」って云ったら、大阪から新幹線に乗って駆けつけてくれる人間は、いる。あいつとあいつは来る。あの子も来るなって名前も云える。
そこにあるのは、恋愛感情ではなく、人間的な愛情だ。
逆に、あたしが呼ばれたらどうなんだろう。考えるまでもない。行くに決まってる。
実際あたしは、仙台まで行ったしな。仮病を使った母親の見舞いに行くために仕事キャンセルしてえらい損したこともある。でも、そこで行くのが、私の自然なんだ。
「そんな友達おらん」
そういう人って、愛されたいから愛してる。
人間なんて勝手な生き物だから、愛したいから愛して、飽きたらやめちゃえば良いんだ。
愛したいから愛してるのに、愛したんだから返してってのは、ちょっと図々しい。
私はこれを500円で買いたいの。
そう云って定価1000円のものは持って帰れないのと同じ原理だとおもうんだけど。
友達がいない人って、そういう訳の分からないワガママが通るとおもってるんだよ。
友達でいたいからいるんじゃない。愛されたいから愛するんじゃない。
自然に友達になっちゃうもんだし、自然に愛しちゃうもんなんだ。
無理をするからオカシクなるし、押しつけるから苦痛になる。
苦痛は、続かない。不自然な状態に置かれていると、人は苦痛を感じるんだ。
ずーーーーーーーっと仲良しでいることは難しいことじゃないんだけど。
どうしてこんな簡単なことが分からないんだろうね。