まとも なんだよ

下のかずくんのコメントを受けて。「倫理的」、微妙に語弊があるねw
ずっとずっとおもってることがある。わたしは、すごく「まとも」なんだ。
気を使って、お呼ばれしてもほとんど食べない人がいる。それは、ちがうとおもう。
気を使って、云いたいことを云わない人がいる。それも、ちがうんだ。
私はよく食事に招待される。家であったりちょっと高級なレストランや料亭。何ヶ月も前から予約を入れてくれていたりする。食事が運ばれてくると、絶対に云う「ああ、これ食べられないよぉ」。好き嫌いの表明。気を使って黙って食べるべきかもしれない。けれど、私だったら相手が嫌いだったんだってことを後々に知ったら、後悔する。「気を使ってくれてたのか・・・」。相手にそんな後悔をさせるくらいなら、最初に云っておく。「これは無理」。でも絶対に付け足す。「でも、こっちはすごい美味しい」。
2年くらい前、後輩の家族がおりえを連れてこいと云いだし、家に呼ばれた。最初に何が食べたいんだと聞かれていたので、食べたいものを伝えておいた。二品、頼んでおいたのだが、案の定それ意外は少しずつ食べられないものが入っていた。あたしは大皿に盛られた、リクエストの二品を全部一人で食べた。作ってくれた親父さんとおばさんは、すごい笑ってた。「はやく食べないと、私一人で食べきっちゃうよ?美味しいから、ちょっとだけ食べてみ。でもちょっとだけな。私、まだ食べるから」。作った人は、とても嬉しそうにしてる。他のものに一切手を付けなくても、あれだけ美味しそうに食べてれば気にもならないだろう。大皿がキレイに片づくと、親父さんは云った。「次は何食べたい? また作るわ。わしの得意料理はな〜」。お酒を飮みながら、親父さんと料理の話をする。親父さんは、私が後輩と電話で話すたびに「お、先輩と電話か。あとでわしにも代わってくれ」と、大声を出すようになった。
気ってのは、こうやって使うもんだと、あたしはおもう。
人に、わざと甘える。わざと頼みごとをする。人って頼られると嬉しいもんなんだよ。私は、たいがいのことは自分でできる。お金があって時間があれば、なんでも一人でできるんだ。
でも、何もしない。人に甘えるっていう気遣いが、あるんだ。
高校のころ、わたしはちょっと分かってなかった。インフルエンザにかかって40度の熱があるのに、姉に世話になっていたので遠慮して言い出せなかった。40度の熱があるまま、毎日学校に通っていた。到着するなり保健室に直行。後々で姉にバレて、泣かれた。
ああ、そういうことかぁ。
そのポロッとわずかに零れた涙を見て、初めて気付いた。甘えるってことが、思いやりになるんだ。親しい人が、病気になったのを心配させまいとして黙ってる。それって、あとで知らされると、すごいツライんだよな。なんで云ってくれないのよ。疎外感、距離感を痛烈に感じる。すごい反省して、血尿が出たときはトイレから姉の部屋に直行した。姉はすぐにあちこち電話してくれて、翌日午前中の仕事を休んで病院に連れてってくれた。姉は、少し嬉しそうだった。
みんな、気の使い方を間違ってる。いつも、そうおもう。
「私はわがままだから」「したいことしかしないから」「イヤなことはイヤって云うから」そう云っておくと、相手は楽に動けるんだ。
わたしはね、まともなんだよ。突き抜けたキチガイとか云われるけど。それはまた別の話だ。
そんな人との関わり方ってのを、生活環境の中で教えてくれた姉たちに、私はとても感謝しているし、それに気付けた自分のことをえらいなーとおもう。