老いるということ 2

薬飮みで、自力でお茶を飲む努力をし始めたお母さんだけど、力が入らなくて上手に飲めない。何度もこぼして、シーツを濡らしていた。できるだけお母さんのストレスにならないように、笑顔で拭き取り、「飲めた飲めた」と喜んで見せる。お母さんは、その笑顔を見て、努力していることで喜んでもらえるって、感じる。この循環がとても大切。
指先を使うと痴呆が進まないとどこかで聞いたので、指を動かす練習をするために、わたしのハンドクリームを使ってみた。濡れたタオルで手を拭き、きれいになったらハンドクリームを塗る。手に付けてあげるだけで、あとは自分で塗るように。私の手にも塗って、一緒に手をこねこねする。
「まぁ、いい匂いがするね」
ハンドクリームを塗りながら、お母さんは嬉しそうに呟いた。
「そうでしょ! 今度から、手を拭くたびに一緒に塗ろうね。指先は大切ですよ。女なんだからいつまでもきれいでいないと!」
お母さんの肌はとてもきれいだ。皺もほとんどなく、入院生活でずっと洗顔していないのにすべすべしている。
手を動かすようになり、少しずつ指先が動き始め、夕方、お母さんはこぼさずにお茶を飲んだ。
「飲めた!!」
大喜びするわたしを見て、
「ちょっとずつ、自分でできるようにならんとねぇ」
薬を口に入れると、また自分でお茶を飲む。食事は毎回わたしがスプーンで口に運んでいたのだけれど、何度か自分でスプーンももつようになった。
「んじゃ、さいごの一口は、自分で食べてみよぉよ、おかあさん」
「うん。やってみる」
まだ、少しこぼす。それを、きれいに拭って「できたできた」と喜ぶわたしを見て、満腹だと云いながら、また一口。
「たくさん食べてくれるってことは、それだけ調子が良いってことだから。たくさん食べて、安心させてくださいね」
頑張って、7割くらい食べた日もあった。もう、本当に嬉しくて、でも、わたしが泣いちゃダメだから、必死に堪えて。
おかあさんは、日に日に元気になっていった。
わたしが買い物に出ていたり、お風呂に帰ってるときには、Nさんに云っていたそうだ。
「あの天使の看護婦さんは、今日はもう来ないの?」
天使の看護婦さん。看護婦でもなんでもないんだけど。おかあさんには、それくらいわたしが温かいものに見えていたのかと驚いた。Nさんも、天使って誰のことかと思ったわ、と笑っていたけれど、
「おまえが最初に云った、俺のためでなく、おふくろのためやっていう意味が、やっと分かったよ。おふくろを大切におもってくれてるってのが、本当に分かった。俺はまだおりえのことをちゃんと見れてなかったんやなぁ」
と食事を二人でとりながら、呟いた。
いろんなことが伝わって、堕天使だとかペテン師なんて評価しか受けたことのないわたしが天使だなんて。お世辞でも、良い気分になれる。
けれど、楽しく嬉しいことばかりじゃ、当然なかった。
「おかあさん、このまま死んだらええのにって云うてたんやって」
二人きりになったときに、お母さんがぼそっと呟いた。誰がそんなことを耳に入れたのだ。弟さんのお嫁さんが、一度も見舞いにこず、弟さんにこぼした言葉。Nさんから聞いてて知ってたけれども、お母さんに聞かせるべきじゃないだろ。
Nさんの実家は土地と家がある。上物はもう築30年になるから値段はつかないにしても、土地は売れる。わたしがお母さんにべったりくっついていたとき、裏では陰湿な遺産についての会話が繰り返されていた。Nさんが目を見開いてしっかり吸収しろと云ったのは、きっと、こっちの人間模様。隣で話を聞きながら、お母さんのことを考えたら涙が止まらなくてトイレに駆け込み顔を洗い、また戻り。そんなことを何度も繰り返した。
遺産がどうのって話をするのは、いつも弟の嫁だ。嫁は一度も姿をみせない。話を伝えにくるのは弟だ。黙っていればいいものを、なぜか話してしまう。お父さんが亡くなったときに、Nさんは弁護士を呼んで、遺産放棄の手続きを済ませた。つまり、お母さんにもしものことがあれば、家も土地も弟さんのものになる。手続きを済ませ、Nさんは弟さんに云った。
「家も土地も、俺はいらん。おまえに全部やる。その代わり、俺は東京からは離れへん。どういうことか、分かってるよな」
弟さんは、分かってる、ありがとうと云った。
分かってないやん。もらうものだけもらってお母さんは放っておくのか。老い先短い人間は早くくたばれば良いのか?
本当に耐えきれなくなって、病院の前を流れる川をNさんと見ながら、わたしは一度だけ号泣した。
「なんでよその家のことで、おまえがそんなに心底悲しむんや。泣きたいのは俺やぞ」
「すみません。分かってるんですけど。Nさんを慰めたいんですけど。今だけはちょっと泣かせてください。お母さんが可哀相すぎる。でも、わたしはお嫁さんも、なんでか責める気になれないんです。泣いてる理由は、お母さんが、心のどこかで人を憎んでるってことなんです」
Nさんは、これだけで理解してくれた。わたしは誰かが誰かを憎む場面に行き当たると、とても疲れる。ダルいというのではなく、悲しくてやりきれなくなるのだ。お母さんのようなユーモアもあり、素直で可愛らしいおばあちゃんが病院のベットで一人で誰かに対して憎しみという感情を膨らませている。それが、もう、なんともいえず悲惨な出来事のように感じられた。
「おまえには、今見える光景は残酷なもんなんやろうな。でも、見ろよ。俺がおまえに見せてやれるものの一つや」
うんうん。分かってる。全部分かってるんだ。だから余計に苦しい。
タバコを吸い終わり、病室に戻ると、お母さんはNさんではなくわたしに話しかける。
「見ててね、足をね、動かせるんよ」
オムツをしている足は、かえるのように広がり真っ直ぐにならない。リハビリで真っ直ぐにしないと、歩けるようになるのが遅れる。なので、マッサージしながらいつも真っ直ぐになるようにしていた。けれど、楽な態勢を取ろうとすると、やはり足がすぐに開く。
「お母さん、腰が曲がってるよりもカエル足で歩くほうが絶対にみっともないから。頑張って真っ直ぐにしようね」
「痛い痛い、あ、そうや。ひもで縛ってひもで」
Nさんと二人で爆笑。ありえない。よくもまぁ咄嗟にこんな言葉が出てくるもんだ。
「あかんよ、自分の筋肉で固定せんと!」
お母さんも笑いながら、足に力が入るのが分かった。そうそう。そうやって自分でがんばらないとね。
しんどいことこそ自分を磨くんだって言葉は、どんな場面ででも同じなのだなってことが、よぉくわかった。