見返り

人は自分が注いだだけのものを取り返そうとする。それを、見返りと云う。
見返りを求めてはいけないのだと学んだのは小学校の低学年の頃だ。生きること、人と関わるということに、小さい絶望を感じた。それまでの私は純粋に人を信じられていたのだなと可愛く思う。
今でも見返りを求めてしまうことは、ある。けれども、諦めは早い。
プライドが高いので、無駄追いはしない。見返りを求めることをどこかで恥だと考えている部分がある。その反面、純粋に見返りを求める者を羨ましく感じている。素直に人に愛されること、真っ直ぐに愛情を受け入れて疑うことのない人に憧れてさえいる。
「私のこと好きだって云ったくせに」と心変わりした男をなじる女。相手をするのは面倒だが、私はそういう女が羨ましくて仕方ない。そして、可愛いと感じる。人の気持なんて変わるのだ。瞬間最大風速の愛情を永遠のものだと受け止められる人は強い。人を信じるのには、強大なパワーが必要だ。
私にも、またいつか、そういうパワーが湧いてくるのだろうか。誰かを信じて、この風は永遠に私にそよぎ続けるのだと思い込める純粋さが戻ってくるのだろうか。
信じきれる人がほしい。果てし無く愛情を注ぎ、また私の愛情を受け入れられるだけの器を持つ人が。こぼさず全てを飲み干し、微笑んでくれる存在がほしい。裏切らず、心地よい風を送り続けてくれる人がほしい。
Nさんは「ないものねだりはお前の専売特許やな」と笑った。「諦めろ。その代わり、おまえは多くの人間がほしくても手に入れられないものをちゃんと持ってるやないか」。
どっちが幸せなのかなんて問題じゃない。比べるものではないのだ。今必要なのは、私がどれだけ自分を使いこなせるか。表面的に諦めることはたやすい。奥底でくすぶった欲望は、それはそれで火種になり何かしらのパワーに変換されてゆく。その燻りが、私の強さになり、武器にもなりうる。
「おりえが本気で愛情を注いだときに、それを全部受け入れられる男なんかおらんよ。おまえの情は深すぎる。だからお前は人並みの幸せなんて手に入れられへん。おまえの愛情は男には重すぎるんや」
Nさんは私がずっと抱えていたわだかまりを、どんどん言葉にしていく。注ぐ先が、ずっとなかった。注ぐと、溢れるのだ。それに構わず注ぐと、相手はどんどん奪うだけの人間に変貌してゆく。私の情も無尽ではない。蓄えなければならない時期がある。けれど、こっちの都合なんて考慮はされない。奪われて奪われて、枯れてゆく。注ぎ続けて、返ってはこない見返りをほんの少し期待し、また失望する。
見返りは求めない。注ぐ先もない。変わらない愛。それが私の渇望しているもので、そんなものはないというのが、今の私の答えだ。
わかにこの話をしたときに、あいつはボロボロ泣いた。彼女のあんな泣き顔は、初めて見た。沈黙のあとに吐きだされた言葉、「悲しすぎるよ」。
もっと、もっと素直に求める人間になりたい。私だって、こんな悲しい考え方、したくてしてるんじゃないんだよ。
泣かせてごめんね。