そこを見てたのね と思ったのです嗚呼びっくり

今日Nさんに会った。
「おまえな、いつになったら書くねん」
は? 書いてるじゃないですか。会うたびに修正したものを渡しているのに何を云ってるのか。
「おまえの書くべきことは、こんなんとちゃうやろ」
これ以降、信じられないような発言が続いた。基本的に誉めてはもらえない。叩かれて打ちのめされて、それでも懲りずに潰れずに書き直すってのがオリエの持ち味なのだが。今日はなんだかおかしかった。
「俺は今まで何人もの作家を育ててきたよ。でもな、みんなモノを書く人間やけど、作家やないんや。わかるか、この違い。みんな隠してる。秘めたものがちゃんとある。けど、その秘めたものを暴いてみたいっていう衝動は湧いてこん。達者なもの書いてそこそこ売れて、みんなそれで満足してまうんや。3万分も売れて重版されたらそれで満足する。こっちもそれ以上は望まん。でも、おまえは絶対にそこで満足せん女なんや。そやろ? 俺も編集として満足せんよ。もっと上を目指せるんやから。おまえの秘めてるものがチラチラ見えるんや。おまえの凄味や。おまえは持ってるよ、作家になる素質を。物書きやない。作家や。これは違うんやぞ。ちょっとその資質を見せたとおもたら隠してまいよる。おれはお前の全部を受け入れるって云うたやろ。出してこいよ。見せてくれよ。何を隠してるねん」
愕然とした。そんなこと思ってたのか、この親父は。何かがあるとはずっと云ってもらっていた。ただその言葉を信じてついていってた。けど、そこまで思ってくれてたのかって驚いたのだ。
そして瞬時に過った。どっちだろう。私の、どっちの本質を見て、この人は資質だと云ってるのだろう。私は自分で自覚している本質が二つある。簡単に云うなら、一方は天使でもう一方は悪魔だ。誰にでもあるごくありふれた両極端な性質。一瞬うかがうような目をした私の表情をNさんが見逃すはずがなかった。
「体液の交換って、おまえが云うたの、覚えてるか?」
覚えてる。忘れるわけがない。ある出版社の偉いさんに引き合わされたときに云ったことだ。「おりえさんにとってセックスってなんですか」とその編集者が云った。もちろんイロイロ前振りがあった上での質問だったのだが。私はそのときに迷わずに答えたのだ。「愛情がある肉体関係は、体液の交換です」。Nさんは露骨に驚いた顔をし、編集者は「ほぉ〜、ぜひ、貴方の書いた恋愛小説が読みたい」と微笑みをこぼした。何が彼らの琴線に触れたのか、正直いまだに分からない。けれど、やり手と云われている編集者二人が同時に驚いた顔をしたあの瞬間を忘れることはできないでいる。
そして今日、Nさんはそのときの言葉を持ち出した。
「覚えてますけど。それがなんなんですか?」
「あんなこと云う人間は、おらんぞ」
・・・ んー、たしかに、耳にしたことはない。
Nさんはそれから、私が今までしてきた発言をいくつか例に出して「こんな感性、俺は凄味を感じるね。おまえは持ってるんやぞ。宝石の原石を。おれはそれを磨きたいんや。けど、磨きたくても原石をおまえがずっと隠してる」
「Nさん、ちょっと良いですか。具体的に、教えてください。私は自分をすごく一般的で普遍的な人間だと思っています。自分の何が異質で、何をそんなに認めてもらえてるのかさっぱり分からないんです」
「じゃあ、体液の交換って具体的にどういうことなのか、体液の交換っていうのは、どういう思いで口にした言葉なんか、俺に語ってみろ」
困ったことになった、と思った。云いたくない。そこはもう、本質も本質、隠して隠して誰にも触れさせたくない自分だけの部分なのだ。それを曝け出すことはカッコワルイと感じていて、ずっと意識的に押し殺していた性質なのだ。そっちだったのか・・・ Nさんが指しているのは、手垢にまみれた言葉を使うなら、博愛主義者の天使のオリエだった。
露骨に困惑した私を見て、Nさんはにやりと笑った。「ほら、語れ」。語るってのは、またむずかしい。ただ話すのではないのだ。語る。明らかに自分より上の人間に対して「語る」ってのは、すごく恥ずかしいことなのだ。語る相手というのは、多くの場面において自分と同等か下の人間にすることだ。目上だと思ってる相手には、伝えることはできても、語ることなどできない。それを、しろと云う。わざわざ語るという言葉を選んでいるのだ、Nさんは。仕方ないので観念して少しずつ話した。
「見えてきたか、それやぞ。それ書けよ。前にも云うたやろ。なんでまだ隠すねん」
「カッコワルイからです。恥ずかしいです。知られたくないです」
「そうか? 俺にはすばらしい感性やと思うけどな。おまえにしか書けないことが、今云ったことの中に溢れてるやないか。それがおまえの凄味やろ」
んんんんんんんんんんんっ。いやなんだ。恥ずかしいんだ。悶える私を見てニヤニヤ笑うNさん。苦痛だ。これのどこが凄味なんだ? 普通やん。
いやだいやだ。これを曝け出すのはいやだ。
まだ覚悟ができない。どうしよう。これを書くべきなのはわかってる。けれど、私の中の人達が悶絶してる。
どうしようなんて考えてる場合でもない。もう、残された道は書くってことしかないんだもんな・・・ すごい憂鬱だ。
「覚悟ができてないんや、おまえは。いいかげん観念しろよ。な?」
なにが、「な?」だよ。こんなの曝け出すくらいならもう鬼でいいよ。
うあああああっ。