昨日何をしていたか

昼くらいから膀胱炎バイ菌たちが騒ぎだして、危うく負けそうになる。薬物の大量投下を試み、昼御飯のあと、規定量の倍の薬を飲む。するとじわじわおさまってきて、密かに勝利を確信したのだが、夕方4時にはまたバイ菌の勢力が盛り返し始める。
くっそぉ。絶対に負けたくないよぉ。と発起し、再び病院に。
病院は、閑静な住宅街の中にある。デザイナーズマンションを思わせるコンクリートの打ちっぱなしの壁に、太陽が反射して不思議な存在感を放っている。Y医院という看板がなければ、少し小洒落たマンションにしか見えない。デザイナーズマンションのエントランスのような受付を「こんにちは」と覗き込むと、事務作業をしていたおばさんがわずかに眉間に皺を寄せ、云った。「膀胱炎、ひどいの?」
なんで覚えてるねん。まだ診察券出してへんやろ。
「あ、はい。ちょっとつらくて、お薬、今日でなくなるし。お薬だけでももらえたら、と思って来たんですよ」
あら、そう。あらそう。と繰り返す受付の相手をしながら、診察券をプラスチックの入れ物に投入。こんなん手渡しのが早いやん。
すぐに名前を呼ばれ、医者に事情を説明。「そんなにひどいのなら、注射でもするか」。居丈高な態度で注射を提案する医者は、ゴルフ焼けで真っ黒になっている。左手だけが日に焼けてない。ゴルフ以外に考えられない。このおっさん、遊んどるのぉ。
「それで治るんですか、この痛み。治るんなら、ちくっと打ってくださいよ」「すごーーーーーーーく、いたいよ」「いいです、膀胱炎に勝てるんなら」「は?」
ぐちゃぐちゃうるさいなぁ。打てって云ってるんだから黙って打てよ。
薬物投下。1時間後、膀胱炎部隊、鎮静化。うひょぉ。勝った勝った。家で小躍りしていると、Nさんより電話。「出てこい。駅前」、「あ、はい。田園調布の駅ですよね」「うん、クーラーきいてるほうの喫茶店」、わかりましたと答える途中で電話が切れた。このおっさんだけは、ほんとうに毎回毎回自分の用件だけ云って電話切りやがって。駅前には、待ち合わせに使う喫茶店が3件ある。クーラーの効いてる店・古い店と呼んでいるのが、コーヒーショップ望。ここは植木の葉がゆっさゆっさ揺れるほど空調がきつく設定してある。吹きっさらしの平野に放り出された気分を味わえる喫茶店だ。あとの二つは、「生娘の行く喫茶店」と「小洒落たとこ」と呼んでいる。生娘の行く店は、フリルのヒラヒラが店中を彩っていて、機械仕掛けのフランス人形がコーヒーを運んでくる。それはうそだが、そんな雰囲気だ。 小洒落た店は、田園調布のすましたマダムがケーキを買いに行くようなお店。椅子の座り心地が、あまりよくない。今日は、クーラーの効いてる店。
茶店に行くと、荷物だけあって、本人がいない。席はすぐにわかった。あちこちの原稿を大量に入れて持ち歩いている袋が隣のテーブルにどーんと置いてあり、実際に使ってるテーブルには一箱は吸ったなと思えるほどのマイルドセブンの吸殻にほとんど減ってないアイスコーヒー。ここだ。とりあえずアイスティーを注文して、上着を着込んで待つ。膀胱炎には冷えは大敵なのだ。
「おお、早かったな」。携帯片手に登場したNさんはにんまりと笑っていて、この後の説教が怖い。
「今日はな、聞こうと思って。おまえの脳みその中に何が詰まってるのか。おが屑でも石ころでも良いから、俺に隠してることとか、全部しゃべってみろ」
「・・・へ?」
「おまえは何か書きたいんや。でも、それが伝わってこない。それはおまえが隠蔽してるからやろ。けど、それを知ってないと、俺はお前の書くものの方向を示唆できひん。わかるな」
「なるほど」。なっとくはしたが、そう簡単に云えるようなことじゃない。今までそんな話をしたのは、わかだけだ。行動としてつぶさに見ていた人間は、中学時代の同級生のありさ。私の本質を知っているのは、恐らくこの二人だけだろう。話して、良いんだろうか。少し、黙り込む。
賭けてみよぉ。これを話して、なんやおまえはキチガイかと云われたら、もうそれで仕方ない。私の夢をかなえてくれるのは、今このおっさんしかいない。この人にどこまでもくっついていくのが、最高のショートカットだってことを知ってる。そして、今話しておくべきだということも、分かっていた。少しずつ、言葉を選びながら、私の考えていること感じてることが正確にNさんに伝わるように話した。
話してる途中で相槌を打ちながら、顔が次第にほころんでくるNさん。話してるあたしは、勝手に流れてくる涙に、むせぶこともなく、淡々と現実だけを言葉にする。「今日のおまえは、いいな。キレイだよ」。云いたいことは分かる。Nさんは、私が自分の深層心理を包み隠さず曝け出すと、なんとも嬉しそうに笑うのだ。今までも、そうだった。
「やっとわかったよ。おまえのその部分を、俺は知りたかったんや」。出ようと云って店を出て、家まで歩こうか、と20分あまりの道のりを坂道を登ったり下ったりしながら歩く。
「おまえは、良いひずみを持ってるなぁ。俺の目は曇ってなかったんやなぁ。ときどき、不安になったよ。俺の直感が外れたのかなってな。でも、正しかった。おまえのドロドロは、最高に汚くて、狂ってて、脆いんや。いいぞ。それを見たかったんや。それがあるってことは、それが書けるってことや。金では買えん。どんなに頑張っても手に入るもんじゃない。おまえは、いい子宮を持ってるよ。あっはっは」
一人でしゃべり続けるNさん。彼は絶対に振り返ったりせずに、自分のペースで歩いていくので、私は小走りで追いかける。一語一句聞き逃さないように、必死に追いかける。
今まで見たこともないような笑顔で、Nさんは云った。
「おりえ、楽しいな」
・・・何を一人で喜んどんねんおっさん。
なんだかよく分からないけれども、あたしのドロドロは受け入れられて、大いにNさんを満足させたもよう。
帰宅するとぐったり疲れてしまっていて、わかちゃんの晩御飯を作って寝てしまった。
9時には寝てた。
日曜には、帰ります。