ああ、言葉にしてくれてありがとう

http://d.hatena.ne.jp/sa10kazu/20040623#p1

ここにまとまってるので、まずこれを。そして、やっと云いたかったことが言葉になった。というか、してくれていた。「ただ、よほどのことでなければ、いい影響もヘンな影響もその子を鍛える糧に、基本的にはなって行くと思います」。ここ!
基本的に子供が好きなので、外を歩いていても子供に自然に目が行く。そして、隣にいる親とのやりとりが聞こえてくる。親は、たいがいこう云う。「危ないからダメ」と。なぜ危ないのか。それを教えない親がすごい多い。そんな説明で子供に伝わるわけないのに。どんな幼児でも、一生懸命言葉を尽くして接したら、案外伝わるものだ。内容は伝わってなくても「ここまで必死にダメだと教えてくれるのだから、ダメなのだな」と判断できる。
先日、姪っ子(小学6年生)と遊んでいると、6歳くらいの男の子が、おもちゃの銃口を私に向けた。親は注意しないのかと見ていると、なんと親は私を見て笑いかけた。「あんな子供を見ると、階段とかの最上階から一階まで蹴り落としてしまいたくなるよな」と呟くと、隣にいた姪っ子が「おもちゃでも人に向けて撃ってはいけませんって、お母さんが教えないのかなぁ」と。中には何も入ってなくて、引き金を引いても何も出ないのかもしれない。それでも、見ず知らずの人間にはそんなことは分からない。いきなり向けられたら驚くし、気分の良いものではない。「私が親なら、人に向けて遊んじゃダメでしょって怒るけどなぁ」と姪っ子が呟いて、すごい安心したのを覚えてる。
子供にダメだと教えるのは大切なことだ。けれど、なぜダメなのかを教えられない親が多すぎる。なんで理由を教えないの? そう聞いたら「云っても分からないから」と答えられたことがある。ダメだこいつ。そう思った。云っても分からないからって、自分の子供に対して責任を放棄してるってことだろ。んじゃ他人に迷惑かけないように首に鎖付けてくくり付けておいてくれ。
こういう親ほど、なんでも社会や他人のせいにしたがる。子供の判断力は子供自身が身につけるもの。それを手助けするのが親だ。なんかまた腹がたってきた。
全部が全部親の責任なんてことは云わない。でも、躾けができてない人があまりに多すぎる。良い教師に出逢えるかどうかを心配する前に、自分が親としてちゃんと子供を躾けられているかを気に病むべきじゃないのか。ちゃんと躾けられた子は、人のいうことを聞くべきところと、自分で判断するべきところを、自分で見分けることができる。そういう目を養って判断力を付けさせるのは、親の躾けだと思う。
かずくんがよく「自分で考えることができるようになってほしい」「子供が自分の意志で決めたことはとりあえずやらせてみるんだ」ってことを云ってて。これは本来親がするべきことなのに、この人はえらいなぁと思って聞いていた。
親がするべきことと、教師がするべきことはいっしょくたになってしまうことが多いし、実際に重なる部分が多いから連携ってすごい大切なんだけど。予備校時代も、塾講師時代も、親には本当にイライラさせられた。口を開けば世間体。子供のことを本当に大切にしているようには、とても見えなかった。代々医者の家庭なのでこの子も医者にって、安物のドラマを見てるみたいだったよ。本人は、絵を描きたいから美術大学への進学を望んでいた。他にもいっぱいあった。そして、自分の価値観を押しつける講師もいた。国公立にいくだけの成績があるのに、創価学会に入信していて創価大学に行くって言い出した子を必死に国公立を勧めていた。その勧め方には、あちこちに自分の評価を上げたいがための努力が見受けられて、あたしはその先生とも喧嘩した。なんで子供の意志を尊重できないんだろう。話を聞いたら、親に勧められたのではなく、自分でちゃんと創価学会とはどういうものなのかを学び、自分で確かめて信じていきたい、と。そして違うと思ったら辞めようと思うなんて云ってたから、創価に行かせれば良いんだ。あいつなら、中退してもちゃんと国公立に行けるよ。めちゃくちゃデキるやつだから。彼は結局創価を卒業して、来春政治家の娘と結婚するらしい。自分の人生は自分で決めれば良いんだ。親や教師ができるのは、可能性を広げてあげることじゃないのかな。
心配で信用できないのなら、社会的に子供を殺して自分も死ぬべきだ。極論だけど、親ってそういう責任があるんじゃないのかなって、思うよ。