読書感想を書いてなかったなぁ

ここんとこ、読み散らかしてる。
とにかくいろんなジャンルの本を無差別に読んでいる。これが思いの外楽しい。目を閉じて本屋さんの棚からえいっと引きぬた本を買ってみたり。イロイロ試してみている。
これが思いの外楽しいのだが、タイトルとかが今分からないから何も書けない。全部忘れてる。すごい記憶回路だ。とりあえず、昨夜「読む本がもうないから本屋に行きたいんですよぉ」と愚痴った私に、連城三紀彦小池真理子の「恋」を持ってきてくれた師匠。「どっちの作家も読んだことないんですけど、どんな感じですかね」と尋ねた私に。
連城三紀彦は、おれはおもんないんやけど、うまいよ。小池真理子はエッセイでデビューして美人作家で持て囃されて直木賞を旦那より先に取ったんやけどな。この旦那がすごいブサイクでなぁ」
あたしの周囲にいる人は、やたらめったら顔のことを云う。なぜだろう。私の家族はみんなそうだし。長女にいたっては「あんたはお父さんに似たから可哀相」なんてことを云う。放っておいてくれ。旦那の作品については一切触れない。Nさんは終始「旦那がブサイクだ」と繰り返し続けた。
で、小池真理子の作品についてなんですが・・・ 「まぁ読んでみろよ」 なんやねん、それ。
連城三紀彦は、20ページめでドロップアウト。ギブアップとかじゃない。脱落だ。もう読めない。小説として表現がすごい巧妙なんだけどさ。オカシイんだよ。それは「表現」しようとしすぎて意味が通じなくなってるぞ!ってのがある。一年、逢瀬を続けた青年と女性が別れるシーンで。不倫だったんだけどさ。これからは冷めた家庭に戻って「幸せのお釣りを受け取るだけの生活が始まる」とか書いてるんだけど。違うだろ。幸せを支払ってたんじゃないだろ。受け取ってたんだろ。お釣りじゃないだろ、と。なんか、こんなとんちんかんな表現がすごいいっぱいあるんだよ。連城三紀彦が好きな人って、一時的な感情に流されて本質を見抜けない人なんじゃないのかと思ってしまったほどだ。たまたまそういう作品に当たってしまっただけかもしれないが。Nさんが「俺はちゃんと読んでないよ」とふふん と笑った気持は分かる。あの人には、読めない。私にも、読めない。
最近Nさんに、やたら恋愛小説を勧められる。どの編集の人に会っても、みんな同じことを云う。「オリエちゃんは恋愛は書かないの?」。興味ないんだよ。っていうか、あたしの恋愛観に共感できる人間なんて、まず、いない。そんな一般化できねーもんをどうやって書くんだよっ と思うんだが。
今気づいた。だからこそ、書くのか。さすが一流の編集さんたちだ。急に怖くなってきた・・・