ある教師の話

俺には特別なセンスはない、とかずくん(仮名)教師35歳がのたまった。何云うてるんやろうって思ったけれども、私が感じてる圧倒的なセンスを本人が自覚していないのか、と驚きもした。
「良い教師」に必要な素質というものがある。生徒に媚びないこと。生徒と同じ視点で物事を見つつ、同時に社会的にどういう地点にいるかということを判断できること。ある程度の冷酷さ(冷静さ)とアツイ情熱を同時に持っていること。生徒一人一人と向き合うだけの精神力を持っていること。人と接するのが好きであること。他人の意見を受け入れる部分と自我を押し通すポイントを見極めること。真実(真理)を見ぬく目。悪いと思ったらすぐに、相手を選ばずに謝罪できること。
これだけの要素を持った人間っていうのは、なかなかいない。私はかずくん(仮名)はこれを全部持った類まれな男だと思っている。まず、彼は絶対に生徒に媚びない。機嫌をとったりはしない。いつも教師と生徒という立場を崩さない。生徒と同じ視点を持つことと、馴れ合いは違う。この違いを理解していない教師のなんと多いことか。彼は生徒の涙に誤魔化されることもなく、嘘泣きする女生徒にいらだちすら感じているはずだ。媚びずに冷静さを持ち、真理を見つめて公正な判断をする。けれども感情的な部分もあり、それが人間らしさを醸しだすので生徒には温かみとして伝わる。
うまいことやりやがって。そう思うが、それが彼の地なんだから仕方ない。
教師になるために生まれて、なるべくしてなった。それを才能と云わずになんと云うのか。こっちが教えてほしいくらいだ。
かずくん(仮名)は、講師生活が長かった。それも彼の教師としての生き方、考え方に大きくプラスに作用していると思う。学校組織というのは中にどっぷり浸かってしまうと感覚が狂う。刑務官と同じだ。学校にいるのは自分よりも年下の子どもばかり。そこでやろうと思えば好き勝手偉そうにできる。自分のペン一本で生徒の将来を左右できるといっても過言じゃない。それだけの力を教師は持ってるのだ。それは刑に服している犯罪者に偉そうにできる刑務官と何ら代わりはない。相手が犯罪者か子どもか、ただそれだけの違いだ。そんな中で、講師として片足を学校機関に突っ込んだ状態で冷静に半分外から観察していた時間が長かったというのは、かずくん(仮名)にとっては、非常に有利に働いているように思う。彼は、一般的に教師と呼ばれている大多数の人間と比較したときに、あまりにも「まとも」な人間なのだ。それを作り上げた一因に、講師時代というものが絶対にあると思う。
高校時代、私はかずくんが大好きだった。今も好きだけど、ちょっとまた違う好きだった。はっきり云って私はモテる女だ。男なんて寄ってくるもんだと思ってる。でもかずくんは言い切った。あれだけ一緒にいて、あれだけ仲良くしていても「俺は教師やからな」。あまりにもカッコ良かった。なんだこいつは、と。それがカッコ付けたりしてるんじゃなくて、素だってところがまた凄い。ちやほやされて舞い上がることもなく、冷静に、私の才能を伸ばすことに彼は楽しみを見いだしていたのだ。この人、大切にしよう。そう思った。
何かある職業に向いている天性のようなものって、絶対にある。イロんな小説を読んでいて、この人は作家になるべくしてなったんだなって思う人がいる。画家も、そう。才能っていうのは、溢れ出てしまうもので、埋もれた才能っていうのは埋もれてしまう程度のものなんじゃないのかなって、私は思ってる。絵の才能のある人は、絵を描かずにはいられない。その性分も才能の一端だ。才能というのは人の中に棲む「才能という名の生き物」であると私は思っている。その生き物が成長し、動き回り、寄生主に影響を与えて突き動かす。なので、よく云う埋もれた才能っていうのは、埋もれてしまう程度のものなのだ。世に出てくる才能というのは、埋もれていても光彩を放ち、いやでも目につくもの。上手なだけでもダメ、センスがあるだけでもダメ。本当に才能があるのなら、それは何らかの形で必ず世に出てくるだけの運も持っている。その人の中で息づいて大きくなる才能という生き物が、成長しすぎて収まり切れなくなったときに、その人は初めて輝き始める。それが誰かの目にとまり、注目を浴びる。環境のせいで、社会的な圧力のせいで、世に出れない才能というものがあるとしたら、その程度のものなのだ。その人の中で一番大きく育った「才能」という生き物の力を持ってしてもねじ伏せられないのなら、その人の才能はその程度なのだ。
かずくん(仮名)の教師としての才能は、と考えると。彼はやはりなるべくしてなった、と思う。「幸運は、その準備のできている者にのみ訪れる」のだとしたら、彼は長い講師時代にその準備を整えたのだ。かずくん(仮名)を私の視点から見ている限り、彼が他の仕事ができるかと問われたら、正直微妙だ。無理なんじゃないかな、とも思う。マニアックだし、ふとした拍子に激情型の人格が表出するし。サラリーマンでいられるほど冷めてない。かといって実業家になれるかと云われたら、そこまでの汎用性もない。はっきり云って、すごい偏った人格なのだ。彼にとって教師は天職であると云える。「教師ってろくでもない」と云われているこの時代に、あれだけ人望があって、教師と生徒という立場をきっちり弁えていて、尚且つ自分の仕事を楽しいと言い切る。貴方は、教師になるために生まれて、教師になった人なのですよ。それが貴方の才能であり、類まれなセンスだ。コアでマニアックな話をしているときのかずくん(仮名)は少年みたいだ。けれど、生徒の話をしているとき、違う輝きを見せる。参ったなぁと思うくらい、キレイだ。活き活きしてて、頼もしい。彼の中に棲んでいる才能という寄生者が、ちゃんと彼の天職を選び抜いて、そこに落ち着いてるんだ。私には、そう見える。