ステージ(レベル)

傲慢な私の思考スタイルの中に「ステージ」という考え方がある。人にはそれぞれのステージ(レベル)がある。テストで100点取れる子が、すごいと思われる環境と、当たり前だと思われる環境。よりレベルの高いステージは、当然「当たり前だと思われる環境」だ。100点取って当たり前のステージに登ってしまったら、今度は200点取らないと頑張ったことにはならない。200点取れるようになったら、今度は200点が当たり前。次は300点。そういうステージがあると思う。私は人を、ランク付けして考えている。
ある女の子が「羨ましいって云われるんです。憧れだって云われるんです」と云う。え、あんたレベルで? とびっくりしてしまう。その子にはその子の魅力があるのだろうが、私には見えない。なんのセンスも感じない。けれども、その魅力が輝いて見える空間というのが存在しているのだろう。そのレベルのステージが。私はそこにはいたくないな、と思う。
師匠が「おまえは村の看板娘や。俺とおったらしんどいやろ。おまえはこっちに来たら底辺の人間や。辛いやろ。帰れ。村に帰ってちやほやしてもらえ」最初の頃、よくそう云われた。泣いたら負けなので、私は泣かない。「帰りません。看板娘にもなりたくありません」そう云って食い下がる。師匠はその言葉を待ってる。予定調和といえばそれまでだが、私の意志を確認する、師匠にとっては大切な作業。弱音を吐かない私を見て、師匠は安心するのだ。東京にいて、私がこれから関わろうとしている人たちにとって、私は最低レベルの人間だ。世間知らずで勢いだけしかない。そんな人間だ。けれども、大阪では、私はありえないくらい、ちやほやされている。どこに行っても特別扱いだし、本当にみんなに可愛がられている。そのおかげで私を憎んでる人間も多いが単なる僻みなので気にしない。大阪にいる一部の人間にとって、私は彼らから見たらステージの最頂部に位置している。当然対等に扱ってくれる人たちもいるし、みんなよりも私が秀でているのではない。ただ、私を最高クラスだと思っている人が存在している、というだけのことで、大阪では、私の周囲にはそういうステージにいる人もそばにいるということだ。
ステージAで満点を取れるようになった。けれどもステージBでは3点も取れない。今の私のレベルはそこだ。自分の立ち位置を確認して、私はもう一個上のステージでまず平均点が取れるようになりたい。そして師匠が口を滑らせてしまったあの言葉を現実にしたい。
「おまえは上り詰めろ。誰も手の届かない所まで。突っ走れ。それだけの根性も、センスもあるんや。見せてくれ」
感情的になった師匠は、云ったあとにハッとして「今のは忘れろ」と云った。忘れるかい。私の耳は都合耳。自分に好都合なことしか聞こえない。明らかに誉められてるそんな言葉を聞き流せるほど、できた人間ではないのだ。
今ある私のステージ。今私を最高レベルだと思っている人たちのいるステージ。そこで満足したくない。傲慢な考えであることは分かっている。けれども、今いるところでいくら認められても、「ああ、ありがとう」くらいにしか思えない。私レベルの人間なんてまだまだごまんといる。ありふれた人間。それを痛感する。違う景色が見たい。現状に満足したくない。だからと云って不満を云うんじゃない。常に上を見て、生きていたいんだ。
どんな景色が見えるんだろうと思うと、気持が高揚する。心臓が膨らむ感じ。早く見たい。汚くて残酷で、美しい景色を。