欲しい本が出てた

私が生まれた頃に現役で、ドラッグで死んでしまった女流作家がいる。彼女の本を、師匠Nさんが買ってきてくれたのが、半年くらい前。「おりえの書いたものを見ると、いつも思い出す作家なんだよ。ちょっと読んでみろ」そう云って手渡された本は、アイボリー色の表紙にビニールカバーが掛かっていた。大阪に帰る新幹線でその本を読み、私は小さく唸った。一緒だ・・・ 考え方とか、表現の仕方とか、そういうのが、私の方が遥かに稚拙でへたくそだが、確かに似てる。まるで私がこの人に憧れて真似してるんじゃないかって思うくらい。実は以前読んだことがあって、知らない間に感化されてて影響を受けているのかもしれないって思ってしまったくらい、似てる。思わず、声に出して呟いた。「この人、死んでてくれて良かったぁ」
彼女の本が最近また出ていて、先日トモミさんと行った本屋で見つけてしまった。買おうかどうか迷ったが荷物がすごかったしあまり手持ちもなかったので諦めた。そして今、手元に、2冊ある。パラパラと読んでみて、また思った。「死んでてくれて良かった」
この作家がドラッグで死んだと聞いたとき、そうだろうなーって思った。私は、私自身がすごくドラッグが好きだってことを知ってる。まったく経験がない訳ではない。でも、そこに逃げるのがイヤなので、手を出さないようにしている。できるだけ、離れたところにいなければ、私は簡単に溺れて堕ちるとこまで堕ちる人間だ。いつまで我慢ができるんだろう。そう思うことがよくある。この作家は、できなかったんだ。このしんどさを乗り越えることができなかったんだ。私にもいつか来るのだろうか。全てから逃げ出したい日が。
こんな大作家と自分を比べるのは、まったくオカシイ話ではあるが。
今までいろんな人が「おりえと私は似た部分がある」「私とおりえは似てる」「同じ感性の人間に出会ったのは初めて!」なんて言葉をかけてくれた。ああ、そうですか。似てますか。どうでも良い。そりゃ人間なんて同じ遺伝子が増殖して増えてるんだから、同じ要素くらい誰にでもあるよ。中には明らかにこじつけて無理やり似せてる人もいれば、あたしの真似を必死にしてる人もいた。違うものなのに。真似なんてしてどうするんだろうって、不思議で仕方なかった。
なので、あまり似てるとか、そういう定義をするのは好きじゃないんだけど。この作家は避けて通れない。悔しいわけでも、憎いわけでも、羨ましいわけでもない。ただ、彼女が死に至るほど溺れたドラッグが鼻先にちらちらと見えて。この作家を超えるものを書かなければ、私は生きてる価値がないなって、思うのだ。超えるかどうかは、私次第。超えたかどうかは、周囲の評価次第。
Nさんは「悔しいやろ」って云うんだけど。実は私は、悔しいって感情があまりない。こういうものに対して、悔しいとか妬ましいとか、羨ましいって感情は湧いてこないのだ。この人すごいなー とは思うけれども、あまり気にならない。避けては通れないとは思うけれども、妬みとはまったく違う。才能に嫉妬しても仕方ない。だって、あたしにも、絶対にあるはずだもん。あたし自身の才能が。だから、本当に気にならないんだけど。周囲はよく云う。悔しいと思う気持をバネにして・・・ それをした方が良いのだろうか。湧いてこない感情を無理やり起こして、嫉妬に狂い何かを書き上げる方が良いのだろうか。それとも、今のままの私で、他人なんてどうでも良いよー 誰も追い付けないくらい登り詰めれば、人を蹴落とす必要はないんだからー って思ってるままで良いのか。どっちが良いのか分からないので、今からやったことのない、嫉妬に狂うってのをとりあえず実践してみようと思う。さぁ読むぞ。