トレーニングディ

よく分からないというか、すっきりしない。私が期待していた展開ではなかったからなのか。でも、なんだかすごい映画だ。これは映画じゃないとダメだな。
最近、「映画でしか」「文章でしか」「漫画でしか」なんてことを考える。それぞれの特質があって、それを活かさないと表現方法の選択がオカシイことになってしまう。うまく表現できないけれども、ハリー・ポッターの最初のやつを観てすごい感じた。ワカと観に行ったのだけど彼女は原作を読んでいた。私は読んでいなかった。観終わった後に、ワカに聞いた。「あの一見悪者ちっくになってた黒いおじさんさぁ、原作ではもっとあの人の背景って説明があったんでしょ」と。「うん。あったよ」。ああ、やっぱり。ハリー・ポッターは原作の文章を忠実に実写に興そうとしていたように感じた。各々が脳内で組み立てた幻想を目に見せるという試み。つまんねー。そんなんいらんねん。映画には映画の味わいがあるやろ。それやらんかい、それ。と、ブツブツ怒ってたんだけど。
レーニングディは、映画だから可能になった表現だと思う。でも、なんかすっきりしない。すごいおもしろいし、ストーリーも登場人物の設定もしっかりしていて、巧いんだけど、なんか足りない。何が足りないのかは、まだ分からない。このまま一生分からないかもしれない。
デンゼル・ワシントンってすごいな、と思った。前にも書いたけど、私は役者というのは個人に見えてしまった時点で失格だと思っている。失格の代表はトム・クルーズ松田聖子。あの人たちはカリスマであって役者ではない。トム・クルーズは何の役をやってもトム・クルーズにしか見えない。松田聖子も然り。でも、デンゼル・ワシントンは違う。毎回違う顔を見せてくれて、正直、いつも最初は「どれがデンゼル・ワシントンだろう」って探す。ずっと出てるのに分からない。私が顔を覚えていないだけなのかもしれないけれども、気づくのに、めちゃくちゃ時間がかかる。それくらい、イメージがガラッと変わるのだ。素晴らしい、俳優になるべくしてなった、俳優になるために生まれてきた逸材だと思った。
この映画本当に、おもしろいし、伏線も効果的だし、映画としての完成度はめちゃ高いってのは感じるんだけど。何が足りないんだ何が。
必要悪って、ある。ついて良い嘘も、ある。でもこの映画が伝えたいのはそんなんじゃないと思う。分からん。頭悪いんだなぁ、あたし。