「アメリカン ヒストリー X」

途中で、ラストが読めた、と、思った。この人殺されるんだ。ドキドキした。車が走ってくるだけでも、もう殺されるんだろうか。ここで死ぬのかな、やっぱり撃たれるのかな。すっげーーーーーーービクビクして自分が殺されるような気分になった。 勘違いだった。やられた。こういう裏切られ方は、たまらん。すごいおもしろい。
友達が貸してくれたんだけど、こんな映画を教えてくれてありがとうと手を握ってぶんぶん振りたい気分。
人種差別って、正直よく分からない。私の友達には在日の人もアメリカの人も、部落の人もいて。差別って分からない。みんな友達。みんな一緒だ。すごく明るいし、おもしろいし。苦労してるのかもしれないけれども、私の中に差別するって意識がないから、分からない。区別は、する。片腕のない人がいたら、ちょっと荷物を持ってあげるくらいはする。でも本人にできることは、全部本人にさせるし。片腕がないことを武器にして良いように生きようとする小狡い人間を、私は認めない。なので、そんな姑息な人間は周囲にいない。そういう人間は、つい苛めてしまうし、特別扱いもしないから寄って来ない。みんな環境によってえらいこと大変な思いをしてるのかもしれないけれども、微塵も感じさせないし、そんな話をすることもない。実際、私は大学時代、すっごい仲良しでいつも一緒に食事していた子の指先が欠けていることに3年も気づかなかった。家にも遊びに行っていたし、ライブも観に行ってたし、一年のときなんてゼミも一緒で席も隣同士でくっつけて座っていたのに、気づかなかった。私が鈍いだけだと思ってたんだけど、ワカも同じくらいの期間気づかなかったらしいから、感じさせないってのが自然にできてる人間なんだろう。劣等感も感じさせない。
差別は、知識として、知ってはいる。でも、この映画で、すごいのめり込めた。私も一緒に人種差別して、一緒に更生した。すごい単純で洗脳されやすい私は、わずか2時間くらいで黒人差別主義から平和主義になった。自分の単純さに笑ってしまったが、それくらい入り込んで観ていた。
社会的な差別が日本では影をひそめてしまった。まだ、たくさん存在していて、そのおかげで家賃が安かったり道路がキレイになっていたりするので、そういうのを目の当たりにすると差別ってまだあるんだな、と思うけど。部落の人は、それを盾にして結構有利に物事を進めているし。苦労もしているけれども、俺らは差別されてる! ってことを訴えて、それなりに得るものもちゃんと獲ているんじゃないかと思う。あんなやり方してたら、不動産屋に嫌われても仕方ないだろうと思ってしまうようなことを、部落の人は、やってる。でも私の友達の部落の子は、めちゃくちゃおもしろくて。子供とも仲良しで。以前はしょちゅうその子供から手紙をが来ていた。一人一人はごく普通なんだ。普通という言葉はとても抽象的だけれども、特別な人間ではないってことだ。どこにでもいる、一個人でしかない。
差別を産み出しているのはやはり環境であり、集団だ。集団心理ってすげーな、と高校3年生のときに痛感したことがあったけど。この映画を観ても、思った。差別は集団から生まれる。個人ではせいぜい、苛めるくらいしかできない。人が集まったときに生まれる意識って、本当に怖い。アメリカのKKKのことを調べたときも驚愕した。KKKに思想を傾けてった人が黒人を殺してたのかと思ってたんだけど。そこらへんの主婦とかが参加して道端でリンチに加わってたって知ったとき、腰が抜けた。3本の矢の話じゃないけれども。みんなで集まったときは、やっぱり陰惨なことよりも、楽しいことをしたいな、と思う。
差別ってなんだろうなんてことは思わないけれども。集団の中の一人でいるより、私は個人が集まった仲間の一人でいたいな、と思った。